誰かに認めてほしい、褒められたい。
いつしかそんな「承認欲求」が悪のように言われていた時期がありました。
「あの人は承認欲求が強くて面倒くさい…」
「承認欲求の塊だ…」
そんなひそひそ声が聞こえてくるたび、まるで承認欲求を持つことが悪いことのような気さえしました。
でも本当に「認めてほしい」と思うことは未熟なんでしょうか?
ちなみにわたしは、とっても認めてほしいし、褒めてほしいです(笑)
「35歳なのにみっともない」は真実か?

30代・40代になると、社会からも家庭からも『きちんとした自立した大人』であることを求められます。
この「大人役割」を完璧に演じようとすればするほど、
「誰かに甘えたい」「認めてほしい」という根源的な欲求を持つこと自体が、まるで幼稚で未熟なことのように錯覚させられてしまう。
わたしは、周りの大人たちがテレビなどを見て
「35歳にもなってみっともない」
「これで42歳?恥ずかしくないのかしら?」
というような言葉を、昔からよく聞いてきたように思います。
これは、何気ない個人の感想にすぎません。
それなのに、こういう耳にしていた言葉って知らずに刷り込まれるんですよね…。
わたしも無意識に「30代はこうあるべき」「40代はこうありたい」と、勝手に決めつけていましたし、
そこからズレている人を見ると“恥ずかしい認定”していました…。
もともと他人の目を気にするDNAでした

わたしも例に漏れず、他人からの承認を求めるのは恥ずかしいと思っていた時期がありました。
でも、面白いことに日本人の約7割が他人の目を気にしているという調査がありました。
幼少期から
「空気を読みなさい」
「人に迷惑をかけないように」
と育てられる日本の文化的土壌では、自分の感覚よりも「他人の評価」が基準になりやすい。
つまり、日本人は構造的に「他者からの承認」を人一倍必要とするように設計されている(=求めてしまうのは当たり前)のかもしれません。
でも、それは弱みでも何でもなく、他者への思いやりにもつながるわけです。
自分がいい仕事したら認めてほしいのは当たり前

さらにシンプルに考えると、
仕事や自分のしたことで、「いいことをしたな~!」「うまくできたな~!」と思ったら
そりゃあ、認めてほしいし、ほめてほしくないですか?
わたしは普通にそう思います。
あとは自撮りがキレイに撮れたら「美しい!」って言ってほしいとか(笑)
まぁ度が過ぎれば面倒くさいとは言われるかもしれませんが、
「承認欲求」は基本的には誰にでもある根源的な欲求。
人目を気にせず生きていく、他人の評価なんてカンケーない!と言い切るのって本来むずかしいんですよね。
わたしがかつて、承認欲求を丸出し(いい意味で)の人を見るとイライラしたり、モヤモヤしてたのって
「本当は認めてほしいけど未熟とは思われたくない」と我慢している自分がいたからなんです。
そりゃ認められたいよね、と気づいてからすごくラクになりました。
矛盾したまんまでいい

じゃあ人目が気になるから、誰かの正解に則って生きるのか?
と、聞かれれば、それは「NO」です。
人目は気になるもの。
何かやったときには誰かに認められたいし、褒められたいもの。
それに、自分の心地よい選択をしたい。
できれば、その心地よい選択や表現を認められたい。
認められなかったらそれは悲しい。
悲しいけれど、自分の心地よいもの好きなものは譲れないし
違和感にフタをしたくない。
今のわたしの中には矛盾するような感覚がたくさんあります。
でも、それが自然な姿なんだと思うんです。
ときには、人目を気にして行動することもある。
違和感にフタをしてしまうことだってある。
生きていれば、いろんな瞬間があるんですよね。
そして最後には、ちょっと時間を取って、自分の内面に向き合う。
「そうか、こんなふうに思っていたんだな」という自分への気づきが、一番の承認になっています。
自分と向き合う際にはこちらもどうぞ^^
「お守りZINE」は”解決しない本”をコンセプトにしたフォトブック。自分の内面と向き合い、解決よりも本来の自分の感覚を取り戻すためのリカバリーの時間をあなたに提供します。
ノウハウでも解決策でもない。本来の自分の感覚に、ふっと立ち返るためのLINEです。
つながってくれた方には最初に「心をゆるめる”お守りムービー”(約20秒)」をお届けしています。
- 羽休めメッセージ <月3回程度>
- 毎月プレゼント <月1回>
- お守りZINEのお知らせ <毎月受注販売>
- 心の余白コンテンツ <不定期>
