本当に伝えたいことほど、そのまま言葉にできないことがある。
というより、
言葉にした瞬間、少し違うものになってしまう。
そんな感覚がある。
たとえば、「自己受容」と書けば、自己受容という言葉を知っている人には伝わりやすい。
だけど同時に、
その人が知っている「自己受容」という言葉の箱に入ってしまう。
「本音」もそう。
「気づき」もそう。
「自分らしさ」も、
「幸せ」も、
「愛」も。
名前をつけることで、見えるものはたくさんある。
でも、名前をつけたことで見えなくなるものもある。
だからといって、わたしは言葉を諦めたいわけじゃない。
こんな不完全さを持つ「言葉」だけど、この言葉を使ってわたしがやりたいことは、少し彫刻作りに似ているかもしれない。

大きな石を前にしたとき、まだそこには何の姿も見えていない。
でも同時に、そこにはすべてが包括されて存在している、ともいえる。
周りの石を削っていくことで、少しずつ輪郭が現れてくる。
わたしにとって言葉は、そのものを直接描くものではなく、その周りを削るためのものなのかもしれない。
・わたしが見たもの
・感じたこと
・実際に起きたこと
・そのとき考えたこと
・何をしても消えなかった違和感
そんなものをひとつずつ言葉にしていく。
「これが自己受容です」
と、直接その姿を描くより、その周りにあるものを言葉として置いていく。
すると、言葉にできなかった何かが少しずつ姿を現すことがある。
ときには「自己受容そのもの」を語っていないにも関わらず、周辺に置いた言葉たちがより雄弁に語りだすことがある。

ただ、彫刻とひとつ違うのは、最後まで削り出すのはわたしではないということ。
わたしは彫刻の製作者じゃない。
わたしには、わたしに見えている「自己受容」がある。
伝えたいものも、ちゃんとある。
でも、
わたしの言葉を受け取って何が削り出されるのかは、その言葉を受け取った人によって違う。
同じ言葉でも、大きく削れる人もいれば、ほんの少しだけ削れる人もいる。何も起こらない人だっている。
そして、
その先に現れるものが、わたしに見えているものと同じ形になるとも限らない。
でも、それでいいと思っている。
わたしが完成した彫刻をつくって、
「これが答えです」
と渡したいわけではないから。
わたしにできるのは、削り出すためのきっかけの言葉を置くところまで。
その言葉によって、その人の中にずっとあったものが少しだけ姿を現すかもしれない。
あるいは、
ずっと「これだ」と思っていたものが削れてなくなるかもしれない。
だから、
本当に伝えたいことほど、そのものについては語らない。
隠したいからじゃない。
ひとつの言葉の形に、閉じ込めたくないから。
わたしはできるだけ丁寧に、できるだけ正直に、言葉にしていく。
そうしてたどり着くものは、その人の中でしか現れない。
言葉にならないものを表現するということは、言葉そのもので完成させることではない。
言葉によって「それ」を浮かび上がらせることなんだ。
それをしているのが「お守りZINE」。
「解決しない」ってなにもしないことじゃない。浮かび上がるものを邪魔しないこと。
「お守りZINE」は”解決しない本”をコンセプトにしたフォトブック。自分の内面と向き合い、解決よりも本来の自分の感覚を取り戻すためのリカバリーの時間をあなたに提供します。

