ずっと、答えを探していた。
どうすれば、もっと自分らしく生きられるのか。
どうすれば、このモヤモヤはなくなるのか。
どうすれば、同じことを繰り返さなくなるのか。
そして、何かに気づくたびに、少しだけ答えに近づいたような気がしていた。
「ああ、わたしは期待に応えようとしていたんだ」
「本当は傷ついていたんだ」
「ずっと頑張っていたんだ」
気づいて、泣いて、自分を抱きしめたくなるようなこともあった。
それは確かに、わたしにとって大切な時間だった。
でも、不思議だった。
あんなに深いところに触れたはずなのに、しばらくすると、また同じ問いの前に立っている。
「で、わたしは結局どうすればいいんだろう?」
ずっと昔、カウンセリングの師匠から「物語から離れろ」と言われていた。
当時は、意味がわからなかった。
だって、人は自分の人生を物語として理解するから。
あの出来事があったから、こうなった。
こんな自分だから、こうしてしまう。
本当はこうしたかった。
そこから離れるって、一体どうやるんだろう。

でも最近になって、ようやく少しわかった気がする。
あるとき、自分でも驚くようなことに気づいた。
人生の前提がひっくり返ってしまうような気づきだった。
なのに、涙は出なかった。
感動もしなかった。
出てきたのは、
「……なーんだ」
だけだった。
力が抜けた。
そして、気づいた。
答えが見つかったから、楽になったんじゃなかった。
「問い」そのものがなくなっていた。
「どうすればいい?」
その問いに対する最高の答えを見つけたわけじゃない。
そもそも、どうすればいいのかを考え続けていた世界から、いつの間にか出ていた。
だから、問題を解決したわけでもない。
問題だったものが、問題ではなくなっていた。
たぶん、わたしが今「解決しない」と言っているのは、こういうことなんだと思う。
放置することでも、
諦めることでもない。
解決策を見つけることさえ、いらなくなること。
水を飲んでいて、「もう十分」と思ったらコップを置くように。
でもまた飲みたくなったら、飲めばいいだけ。
波がどこまで来るのかを、海に確認しないように。
終わったのか。
まだ途中なのか。
これは本当の気づきなのか。
そんなことさえ、
わからなくてもいいのかもしれない。

ただ、ひとつ面白いと思う。
人は「どうすればいい?」と問いながら、答えに苦しんでいると思っているけれど。
本当は、
答えを見つけることに苦しんでいるのではなく、その問いが生まれる“前提”に苦しんでいることがある。
そうだとしたら、
人生が大きく変わる瞬間は、素晴らしい答えを手に入れたときとは限らない。
ずっと握りしめていた問いを見て、
「あれ。これ、もういらないじゃん」
と笑ってしまったときなのかもしれない。
感動より、脱力。
深い気づきって、案外そんなにドラマチックじゃないのかもしれない。
人生を変えるほどのことなのに、その瞬間だけ切り取ったら、
ただ、
「なーんだ」
だったりする。
それなのに、世界の見え方も感じ方もガラリと変わってしまうから不思議だ。
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